常套手段で必殺技
「メソ情報の不存在 1」で述べましたAIによる調査結果を眺めますに、メソ情報というのは、
- 社会を成り立たせる
のに必要だと思われます。ですので、
- 組織の管理者はこれを職務で多用し、あたかも常套手段で必殺技
- 社会を"改革"しようとする学者は"改革"でこれを多用し、必要な分野からメソ情報不要を唱え、不要な分野にメソ情報を唱える事で、認知を得ようとし、あたかも常套手段で必殺技
となる訳です。
組織の管理者の実感からなる(強制力を持った)アドバイスで、プロジェクトが即刻、破綻するとか、有りもしないソフトウェア開発分野での、メソレベルの知識とか、タイパですぐ辞めるZ世代(必要な分野でのメソ情報不要を信じた結果)とかは、これに起因するのかもしれません、
社会を成り立たせる?
ソフトウェアは、
- ある手続きが別の手続きに比べて、百億倍負荷が違っても文句を言いません。(もちろん実行の資源は相応に要求する)
が、人間では、
- 十倍でも組織が破綻する
と思います。なので負荷分散が目的の、メソなレベルの"補正?"が必要なのかも知れません。
しかし逆に、ソフトウェアでは、
- 普通の軸の目盛りなら単純な直線となる、y=x が、
- 対数目盛りで見ると、複雑な様相を示す
が如く、メソ情報を加えただけで、挑戦しがいの有る、非常に複雑なチャレンジ対象に変貌すると思います。(2025/6/1AM9 追加開始) なお、この場合の「メソ情報」は、(ソフトウェア分野ではそもそも不存在なので)「何か素晴らしい」、「実例を求めても一切出ない」となります。まるで形而上の議論に聞こえます。(追加終了)
チャレンジは楽しいですが、期日にも予算にも間に合わなくなると思います。
また、
- 「不要な分野にメソ情報を唱える」事は
- 社会改革に通ずる
側面も有り、
- 実務に憂いた人間の良い気晴らしになる
というのは定説として良いと思います。
どうすれば良いか?
ソフトウェア開発で不存在な、メソ情報を、組織の管理者や、実務に憂いた人間が持ち込む事に対処するには、
- 20年かけて、自滅するのを待つ
より無いと思います。そういう性質の試みなのです。
私の父親(物故)の言った(と私が思った)(「悪口を言われる 3」)
- 党派的に酷い事をされて、それをされるとかなりの事を諦めないといけない
に謂う「酷い事」とは、
- ソフトウェア開発分野では「不要な分野にメソ情報を唱える」が相当し、
- それに対抗(間違っていると主張)するのは、まさに、社会"改革"に竿さす行為となり、
負担が大きくなるのだと思います。
結論
これからも「メソ情報の不存在」を無理して存在するかの様に主張する、社会"改革"者の存在で、プログラミングが嫌いになる人は存在し続ける事でしょう。