関数型プログラミングはなぜ失速したのか
素人の付け焼き刃での考えとして、
- プログラム全体に、本質的に位相空間を導入する事が出来なかった。
- 位相空間とは、順序関係(人間と哺乳類、人間と犬、の大小関係の様な)の有る物の事で、
- ことUIに関しては部品の継承とか出来たが、一般のプログラム全体では出来なかった。
- イベントドリブンとか言っても、一般には「doイベント」以外無いと言うのが紛れもない実情。
完全に実のある議論が存在しない。 - 鳴物入りの共変、反変も、位相空間で無いなら、余り意味が無い。
- さらに、「自動で実行する」の制約より、共変、反変は「事実上、入力でしか使えない、事実上、出力でしか使えない」事になり、さらに意味が薄くなった。
とかだと思います。
- 関数型プログラミングでより良くする為の、道具立てが全て藁😺😺😺😺😺だった。(笑)
と言う事では無いでしょうか?
何で!
何で、関手とか射とかの方向に、そのまま先に進めば、
- 関手は射の合成を保つものだったが、ここで考える「自然変換」は関手の構造を保つものだ*1
の様な地点に行き着く事も可能で、(当てが外れた)位相空間を回避した道具立てになる様に出来ると思うのですが。
(これは「因果ダイアグラム」に通ずる様な気もしますが。。。)
結論
これからも「藁の混じった議論」を周りの人にされる事でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。