言語論的転回から自然主義へ
「哲学史入門3 現象学・分析哲学から現代思想まで【電子書籍】[ 谷徹 ]」に、
- クワインは総合的真理と分析的真理の区別は不可能だと言った
と言う一節が有りました。科学的絶対的な真理が有るとしたのが「言語論的転回」の立場だと思いますが、
例えるなら、
- 星々の眷属として、特定の星の最後を看取る事は出来ても、
- 宇宙全体の眷属では無いので、宇宙全体の最後を看取る事は出来ない
(宇宙の法則も絶対的真理では無いのでは無いか)
のでは無いか?と言う話になり、可能世界まで考えると自然主義に戻ってしまうと言う哲学史の1ページだったと思います。
関数型的転回から自然主義へ
関数型プログラミングを褒める人は、
- あり得ないほど悪い例を手続型プログラミング(あるいはCOBOLやPHPといった、一種偏りの有る、非難に足ると標的化された言語)に割り当て、
- 😀一般的な良い例😀を関数型プログラミングに割り当てて、
良さを言いますが、それは変です。欺瞞です。
仮想DOMと言う、ごく一部(星々に相当)の中では、
- DOMの子とその親と言う風に
- 位相空間が成り立ち、
- 関数型プログラミングでより良さを実現出来ている
のかも知れませんが、全体から見ると極一部の話だと思います。極一部分を以て、全体もそうだと言うのは、歴史的に良く有る誤謬です。
オブジェクト指向の使命
オブジェクト指向の使命は、
- 位相空間の無い所に、
- (たまたま上手くいく以上の出来では無い)それもどきを、無理やりでっち上げ、
- (たまたま上手くいく以上の出来では無い)良さを作り出そうとする
事で、それゆえ、
自然に位相空間の成立する仮想DOMの扱いの場面では、邪魔になって可笑しく有りません。
逆に、バックエンド側の処理では、オブジェクト指向が好まれますが、
継承は最小限(あるいは一才使うな)が良いとされるのは、その場面で自然に位相空間が成立しないので、良さを作り出そうとするのは不自然極まりないからかも知れません。
結論
これからも「藁の混じった議論」を周りの人にされる事でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。