ナラティブ⁉️
騎士物語がいくつも書かれたのは、
- 実際にはその様な良い状況では無かった
からだと聞いた事があります。
「"詭道"」で有るアジャイルでは無く、オーソドックスであるウォーターフォールモデルを望む人も、騎士物語の読者の様な感じかも知れません。
実際に有った、私が直面した話(ファクト)として、
- 最終的に上手くいったウォーターフォールモデルの開発で
- 直属の上司の居る前で
- その上司から、
- 「この詳細仕様は無視する様に」
と言われた事があります。また、詳細仕様の記述が、突き詰めると、
- よしなに
としか読めず、どうするのか上司に一々お伺いを立てなければならない事は茶飯事でした。
ウォーターフォールモデル下で、そう言う決める人の暗躍と、アジャイルと何処が違うんだ、全く違わないじゃないか、とすら思ってしまいます。
プログラミングスクール
最近は話題にならなくなりましたが、
- 何十万か払って、
- ネットワーク経由で
- プログラミングを教える所に入会したが、
- やりたい事ができる様にはならなかった
と言う事が有った様です。(私は全くやっていません。関係者でも有りません。そんな金が有るなら電書のコミックを買います。)
「やりたい事ができる様にはならなかった」とは言いますが、
- 特定のモダンな試作や、開発環境を
- 手取り足取り見せてくれる
と言うのはそれだけで貴重だと思います。それを見て、今度は自分で試作して、やりたい事はその次だと思います。
何故か?というと、
- 最近のフレームワークはたいていが藁混じり*1で、
- 最近で無くても、無料のjava言語のフレームワークの場合、公開されているのはインターフェースのみで、実装は空と言うのばかりで、
- その中で、藁で無いフレームワークを示してくれ、
- 試作例を見せてもらえ、
- 自分でも出来る様にしてくれると言うのは、それだけで有り難い事だ
からです。この世は藁にあふれています。
結論
これからも「藁の混じった議論」を周りの人にされる事でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。