嫌われプログラミングの代弁者

「何で頭ごなしに嫌う人間が居るのか」を色々考える

プログラミングの発達過程において 1

どの様な話?

生徒が反事実を世に問うた場合、大抵の場合、非行となると思います。

何で非行がいけないかと言うと、

  • 非常にしくじり易い
  • しくじった場合にお金がかかる

からだと思います。

さて、プログラミングの発達過程において、

  • イヤイヤ期が有っても全く不思議では無い

と思いますが、大人が実社会でそれをやった場合、「反事実を世に問う」のと変わらないと思います。

 

非行を勧めているのか?

久しぶりに旧作のアニメを見ましたが、それは腕の付いたバイクの大学のサークルでの話でした。
そこでは作中の世界情勢の設定を恐ろしく曲げて主人公が反事実を世に問うと、丁度正義となる様になっていましたが、

要するにあの位、世界情勢の設定を曲げない限り、反事実を世に問うと、大金を取られるだけとなると思います。

 

プログラミングの発達過程において、イヤイヤ期が有っても良いとは思いますが、

  • それを全面的に肯定し、
  • 学術的真実だとし、
  • それを即、世に問う

事を推奨している教育者は、しくじった場合の大金をどう都合付ける目算なのでしょうか?

 

学校は

学校は少なくとも研究者として一人前では無い人間の、学術的非行はたしなめるべきだと思います。

 

結論

大人が発達過程をなぞり直すと言うのは、非常に格好が付かない様に見えます。たとえリスキリングとかの美名が付いていてもです。

これからも「プログラミングの発達過程において」不恰好な様となってしまう期間を経ないといけないとするならば、断然プログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。