どの様な話?
生徒が反事実を世に問うた場合、大抵の場合、非行となると思います。
何で非行がいけないかと言うと、
- 非常にしくじり易い
- しくじった場合にお金がかかる
からだと思います。
さて、プログラミングの発達過程において、
- イヤイヤ期が有っても全く不思議では無い
と思いますが、大人が実社会でそれをやった場合、「反事実を世に問う」のと変わらないと思います。
非行を勧めているのか?
久しぶりに旧作のアニメを見ましたが、それは腕の付いたバイクの大学のサークルでの話でした。
そこでは作中の世界情勢の設定を恐ろしく曲げて、主人公が反事実を世に問うと、丁度正義となる様になっていましたが、
要するにあの位、世界情勢の設定を曲げない限り、反事実を世に問うと、大金を取られるだけとなると思います。
プログラミングの発達過程において、イヤイヤ期が有っても良いとは思いますが、
- それを全面的に肯定し、
- 学術的真実だとし、
- それを即、世に問う
事を推奨している教育者は、しくじった場合の大金をどう都合付ける目算なのでしょうか?
学校は
学校は少なくとも研究者として一人前では無い人間の、学術的非行はたしなめるべきだと思います。
結論
大人が発達過程をなぞり直すと言うのは、非常に格好が付かない様に見えます。たとえリスキリングとかの美名が付いていてもです。
これからも「プログラミングの発達過程において」不恰好な様となってしまう期間を経ないといけないとするならば、断然プログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。