想像ですが、教育のキモかも知れない
腕の付いたバイクのアニメまで持ち出して言いたかったのは、
実務畑の人間には思い付かない「教育のキモ」かも知れない、
- 世界情勢(プログラミング・システム開発の分野では例えば「次代に望まれる要求」など)を曲げて、*1
- それを前提に議論し、記述をする事を求め、
- それにより、プログラミング・システム開発での"高度な"思考の仕方を得る
と言う、やり方が有るのでは無いかと言う"思いつき"でした。
実務畑の人間がプログラミング・システム開発を教える場合、どうしても現実を踏まえてしまい、その結果、
- 大筋が伝わらない
事になるだろう事は容易に想像出来ますが、
設定を曲げると、
- 大筋が伝わる
- 現実と違い、論文のネタがより多く得られる(現実を曲げた、現実からすると偽を含んだ前提となり、かなりの反事実が議論として成立する為)
と言う効果が得られるのでは無いか? と想像します。
良い点ばかりでは無く
もちろん設定を曲げて教育を受けた事で、不利益も有ると思います。それは、
- 教育の為の設定(例えば「次代に望まれる要求として、必ず自動テストが必要」)を鵜呑みにして、
- 現実と合わない(表現出来る範囲が少ない)設定こそが次世代だと言い張り、
- なんの成果も出せない
と言う人間が出る事です。*2
現実を曲げた設定で有る以上、出来る事が減ります。大抵の場合、致命的に減ります。つまり、そう言う設定下では、本当に必要な要求は、
- なんじの問い、愚かなり
程度にしか扱えないと言う結果になると思います。
"高度な"思考の仕方を援用しつつ、現実の問題に立ち向かってもらえると良いのですが、教育の為の設定を現実(次代の有るべき姿)と思い込んで、他人を非難するのは長い期間を考えると不利だと思います。
結論
これからも「プログラミングの発達過程において」その様な取り違えで他人を非難する人間が存在する事で、断然プログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。