嫌われプログラミングの代弁者

「何で頭ごなしに嫌う人間が居るのか」を色々考える

プログラミングの発達過程において 2

想像ですが、教育のキモかも知れない

腕の付いたバイクのアニメまで持ち出して言いたかったのは、

実務畑の人間には思い付かない「教育のキモ」かも知れない、

  • 世界情勢(プログラミング・システム開発の分野では例えば「次代に望まれる要求」など)を曲げて、*1
  • それを前提に議論し、記述をする事を求め、
  • それにより、プログラミング・システム開発での"高度な"思考の仕方を得る

と言う、やり方が有るのでは無いかと言う"思いつき"でした。

実務畑の人間がプログラミング・システム開発を教える場合、どうしても現実を踏まえてしまい、その結果、

  • 大筋が伝わらない

事になるだろう事は容易に想像出来ますが、

設定を曲げると、

  • 大筋が伝わる
  • 現実と違い、論文のネタがより多く得られる(現実を曲げた、現実からすると偽を含んだ前提となり、かなりの反事実が議論として成立する為)

と言う効果が得られるのでは無いか? と想像します。

 

良い点ばかりでは無く

もちろん設定を曲げて教育を受けた事で、不利益も有ると思います。それは、

  • 教育の為の設定(例えば「次代に望まれる要求として、必ず自動テストが必要」)を鵜呑みにして、
  • 現実と合わない(表現出来る範囲が少ない)設定こそが次世代だと言い張り、
  • なんの成果も出せない

と言う人間が出る事です。*2

現実を曲げた設定で有る以上、出来る事が減ります。大抵の場合、致命的に減ります。つまり、そう言う設定下では、本当に必要な要求は、

  • なんじの問い、愚かなり

程度にしか扱えないと言う結果になると思います。

"高度な"思考の仕方を援用しつつ、現実の問題に立ち向かってもらえると良いのですが、教育の為の設定を現実(次代の有るべき姿)と思い込んで、他人を非難するのは長い期間を考えると不利だと思います。

 

結論

これからも「プログラミングの発達過程において」その様な取り違えで他人を非難する人間が存在する事で、断然プログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。

*1:例えば、「(40年前から自然に出来ている料金計算ロジックの自動テストなどを除いた)全ての分野で自動テストが次代に望まれる要求である」とするなど。

*2:心の底から思いますが、現実世界で、「(40年前から自然に出来ている料金計算ロジックの自動テストなどを除いた)全ての分野で自動テストが次代に望まれる要求である」とはとても思えません。多分、教育の為の設定だったと想像します。