嫌われプログラミングの代弁者

「何で頭ごなしに嫌う人間が居るのか」を色々考える

懐疑論を持ち出す必要がある 1

どの様な話?

懐疑論懐疑主義 Wikipedia 日本語版)からたどっていくと、

と言う考え方が有り、ポストモダンは後者であるのに対し、前者では「基礎を公理としてそれ自体は疑わない」態度の数学が代表例として有ると思います。

しかし、ソフトウェアシステムでは、

  • 公理が常にゆらぎ続けている

状態に有ると思います。常に仕様に対して懐疑的になる必要が出ると思います。
だからかも知れませんが、公理型プログラミングは全く鳴かず飛ばずでした。

 

具体的には?

具体的には、

  • ソフトウェアシステムには「自動で動作する」という要求が有り、
  • プログラム1つ1つをいじると、
  • 自動で動作するという要求を満たす為に
  • 因果ダイアグラムの上限側が逐一変化して、
  • ゆらいだ公理状態になる

と言う塩梅です。

 

技術的負債とは

技術的負債とは、この考え方で行くと、

  • ゆらいだ公理に追従出来ていない

状態の事で、しかしながら、追従しようとしても、それにより更にゆらぎ、

  • やはり、ゆらいだ公理に追従出来ていない

状態のままになるのだと思います。

「自動で動作する」を諦めれば、問題は解決すると思いますが、更にたちの悪い「ソフトウェアロボット*1」に矛盾を押し付けただけとなると思います。

 

結論

ソフトウェアシステムでは「懐疑論を持ち出す必要がある」為、プログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。