仕様における確率
仕様における確率に関連して、
最近、多様性が望まれるのは自明だと思います。
しかし、みずほでも、マイナンバーでの住民票でも、全銀ネットでも(主に日経の)公開記事を見た限りでは、
- 仕様(確率)に多様性を持たせる(手法を強く定めない)と言う
- 望まれるやり方をしたが、
- テスト時にその多様性について行けず(無意識の内に、特定の手法に適した確率分布で考えてしまい)
- テストが漏れた
と言う問題が発生したと、私は読み取りました。
React勉強中
前に述べました通り、PaaSのサーバー(コンテナ?)を借りて、Reactを勉強中です。(18.2.0でやっています。Fiber Reconcilerとか当たり前の様に利用しています。)
Google Trendsを見ても、他の手法(Angular JSやVue.js)と比べてトリプルスコア以上の関心度を得ているReactは学びも大きく、将来性も有る様に見えます。
ただ、60歳の私の心配事は、
- 1980年終盤ごろ、
- それまで競い合っていた、他の言語、手法を圧倒し、
- 構造化プログラミングと言う最新の手法を盛り込み、
- 後方互換性も高く、
- トップレベルでのみ利用出来る画期的な状態保存方法(VSAM)も出来、
- 学びも大きく、将来性も有る
としていた某言語のその後の動向にReactをなぞらえてしまうと言う一点に尽きます。
- テスト時に多様性について行けなくなる事への対処として、
- 特定の手法が他を圧するのは、
- ある意味(特にテスト観点からは)有意義
では有るとは思いますが、
- 仕様(確率)に多様性を持たせる(手法を強く定めない)
事もまた望まれており、このまま10年後にReactがその某言語と同じ道を歩んでしまうと、悲惨だと思います。
テストを最優先にするなら、
極論ですが、テストを最優先にするなら、
- 仕様(確率)に多様性を持たせる(手法を強く定めない)事を主張する人間は、システムを脅かす、障害で有るとし、
- みんなで寄ってたかって、
- ダメだという(人格攻撃も含めて)
のが最善だし、例えばReactの特定のバージョンを今後20年間固定し、変えようとする人間を排斥するならば、自動テストも捗る
のでは無いかと、妄想してしまいます。
もちろんのこと、変えようとする人間への攻撃は弱く、変えるのを拒む人間への攻撃は強いのが通例で、特に歴史的に例外も思いつきませんので、これは完全な妄想に過ぎないとは思います。
結論
これからも難敵で有る「因果と確率」の存在でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。