どの様な話?
前回、『「fat」を恐れる』では、
- 複数のプログラムの部分が、特定の原因を共有していた場合
につきまして考察しましたが、
今回は、
- 1つのプログラムの部分が、複数の原因を持つ場合
につきまして考察いたします。
昔に比べて
COBOLシステムは古すぎるので何ですが、現在のSaaSなどは、昔の(例えばAccessで作っていた)システムと比べ、
- 使いづらい
のでは無いか、との感想が有ります。
別に昔やっていた人間の贔屓目では無く、客観的にそうだと思います。
何故、それを見逃して、ずっと使い続けているのでしょうか?
何か勘所が有り、昔のやり方は良く無かったからだとしたら、その勘所とは何なのでしょうか?
使いやすさとは?
使いやすさとは、
- 1つのプログラムの部分で(1つでは無く)複数の原因を持った場合に創発される特性なのでは無いか?
としましょう。1つのプログラムの部分で1つの原因だとしたら、手作業と一緒で、仮にも手間を掛けてプログラムを仕立てる意味が無くなります。(追加開始 2024/12/8 AM1)もっとも、「プログラムの部分」には大きい物も小さい物も有り、一番小さい方では、「1つのプログラムの部分で1つの原因」となって当然、ならざるを得ないです。
それは兎も角、(追加終了)
昔のAccessのシステムなど、「四の五の言うな、やれば良いんだ」と言われて、プログラムの部分に原因をどんどん増やし、どんどん便利にして行きましたが、誰も保守してくれなくなりました。
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現在のシステムはその反省から、
- たとえ「四の五の」言われても、拒否している
- 1つのプログラムの部分で持つ原因の数を制限している
可能性は無いでしょうか?
例えば、
例えば、
- 1つのプログラムの部分で2つの原因を持つのはプログラムの基礎であり、
- 1つのプログラムの部分で3つの原因を持つのはプログラムの要件であるが、
- 1つのプログラムの部分で4つの原因を持つのは保守を損なう行為である
としたらどうでしょうか?
2つの原因を持っている所に「四の五の言うな」と言って、3つ目の原因を付け足す事を求めるのは正当かも知れませんが、
3つの原因を持っている所に「四の五の言うな」と言って、4つ目の原因を付け足す事を求めるのは不当かも知れません。(もちろんこの数は根拠の無い仮置きですが、例えばガロア群とかで証明出来たりする可能性だって、無きにしも非ずです。)
この様な理由で
この様な理由で、現在のSaaSは、昔に比べて使い勝手が悪くなり、手作業が必要だったり、完全に統一が取れていなかったりしているのでは?とコボラーの私は思いました。
結論
これからも『「四の五の言うな」と言われる』事でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。