コボラーに対する悪口
コボラーに対する悪口は、人権をつかさどる機関でも、プラットフォーマーでも野放しだと思います。これはファクトだと思います。
何処もいっさい咎めないのです。
悪口の内容
- 特に「何かの属性を持った人」と言う訳でも無い人が、
- コボラーに対して、伏せ字無しで○ねと発言したり、
- 何の根拠も無しに、明らかに劣っている様に言ったり
します。
(100文字以内の単発のコメントのみの、はてなブログと異なり、)コメントをどんどん付けて議論していく様なプラットフォームでも、コボラーに対する故無い悪口を咎め立てするのを見た事は1度たりとも有りませんでした。
さらに、悪口の対象は(COBOLに関してブイブイ言わせていた)先生筋では無く、(自分の様な)弟子筋でした。これは明瞭なファクトです。
もちろんCOBOL陣営も悪口に値する事はやっていて、
- COBOL言語を、世界唯一の仕様記述言語として統一を図ろう
とかして、迷惑をかけたと聞いております。その様な「解無し」の事で金を取っていたとするなら、それは後に悪口を言われて当然です。
悪口の対象の一般化
私の父親は大学の先生で、(今の私の半分程度の)若い父親が初めての子供に、自分の仕事について色々教える訳ですが、子供は吸収する訳です。(ネグレクトの母親の技術者の義理の父親程では無いにせよ。)
後から(その時、言っていた事が)どうだったか考えた結果ですが、
- 党派的に酷い事をされて、それをされるとかなりの事を諦めないといけない
と言われていた様に思います。
さて、
- 学術的権威を笠に来て、"素晴らしい"着想を述べ、金を取り
- 実証責任はこちらだ
と言われた時、「あぁ、これなんだな」と思いました。「ビジネスはファクトが」とも言われて確定的だと思いました。
ただ、そこで我慢しなければ全部を押し付けられて、過労で自○するSEの仲間入りをしていたでしょうから、親の言う事はありがたい、と言う事でも有ると思います。
しかしその後、
その"素晴らしい"着想が「解無し」で(長期と言える期間後にも事例が0)、
解を得たと言ったと思えば、見たい(我々が望む)問題に対して「横目いっぱいの解法」のみとなるとすると、
その手法を報じた先生の弟子筋に対して、任意の人間が任意のタイミングで任意の強度で悪口を言うのを許容すると言う趣向も一考に値する様に思います。一般化とは科学の常套手段だと思います。
IT分野で特定の条件の場合、その様な悪口は人権問題とならない様に見えるからです。
結論
何にせよ、悪口に戸を建てる事は出来ないと思います。これからも「悪口を言われる」事でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。