嫌われプログラミングの代弁者

「何で頭ごなしに嫌う人間が居るのか」を色々考える

COBOL言語である 5

何でコボラーなどになってしまったのか?

私はコボラーとしてはかなり後になったと思います。

のでなったのですが、

それには理由が有りました。今後、その様な陥穽に陥る事が無い事を願い、以下に書きます。

別の言語で学んだ事がハマった

大学に入ってから、MZ-80CのSP-4010(シャープPascal)言語ばかりいじっていました。この言語はかなりTinyで、

  • 関数が無い
  • ループ(repeat until 終わるまで)の途中脱出が無い
  • gotoは有ったかも知れないが(記憶していない)、ダイクストラ大先生(エドガー・ダイクストラ Wikipedia 日本語版)のgoto禁止(その当時の私の感想)に感化されて、禁止としていた。

と言う縛りが有り、

  • 前処理→主処理(繰り返し)→後処理(関連:スパゲティプログラム Wikipedia 日本語版)

と言うパターンを忠実に守る以外に、実用的なプログラムを書く手段が完全に有りませんでした。

COBOLのプログラムは

ビルドの単位(javaで言うプロジェクト)など無く、1つのプログラム(前処理→主処理(繰り返し)→後処理)それぞれを1つ1つ独立してコンパイル出来る事が必須条件でした。

さらに、同じ意味のハズの変数でも、別のプログラムでは別の操作的意味になる事も、稀では無く、一々調査が必要でした。

また、私が就職した頃にはCOBOLシステムでは「構造化プログラミング(Wikipedia 日本語版)」が流行っていて、

それら諸々が、TinyなシャープPascalと符合してしまったのです。
(repeat until 終わるまで、では無く、PERFORM UNTIL 終わるまで、ですが、、)

逆に言うとCOBOLというのは、その程度だった、という事が言えます。(私の感想です。)

現在では、

現在では、SQL言語を埋め込む事で、COBOLの1つのプログラム相当の機能を、javaなどのプログラムの内部機能として活用出来ているので、COBOLはお役御免だと思います。

結論

これからも「COBOL言語である」事でプログラミングが嫌いになる人は存在し続ける事でしょう。