どの様な話?
テストは、
- 実際に動くプログラムで、
- 直接観測しにくい、管理項目を、なんとかして観測して管理する
方向の物だと思います。
しかし、テストについて、
- 裏地は花色木綿、よろしく、
- どの様な物にも万能にくっつく、素晴らしい物で有る
と言う議論もなされますが、本来の方向性から外れた利用は、隔靴掻痒な議論になりがちです。
プログラムには原因が有ります
どのプログラムにも、間違い無く原因が有ります。原因の結果としてプログラムは出来ます。
その原因は、関連するテストと相関が有るかも知れませんが、議論が間接的になり、その関連が迂遠になればなるほど、隔靴掻痒な議論になります。
プログラムの原因は増えます
プログラムの原因は、
- プログラム作成前と比べ、
- プログラム作成中に増え続け
ます。増えた原因のせいで、プログラムの作りが変化し、見方によっては「歪んだ」ものと成り得ます。
風潮として、開発の管理者は、
- 増えた原因を「技術的な些細な物」として、無視しますが、
- 後から見ると、全ての原因は同等です。
それは単なる、
- 開発の管理者の無知の糊塗です。
例えば、
プログラム作成前と比べて増える原因とは例えば、
- プログラム作成前の調査の見落としによる
- 必要な値の使用可能期間の制限
とかだと思います。
私の経験からして、この問題が起きると、
- 開発の管理者は、全力で隠蔽
しようとし、その権限も手伝い、その試みは成功する事が多いです。
この問題をテストで何とか出来るでしょうか?
出来ないと私は思います。プログラム作成後の、
- 因果ダイアグラムの作り直し(設計書に事後に判った事実・確率を追記)
こそが必要だと思います。
箪笥の裏に花色木綿を張っても、仕方の無い事だと思います。
結論
これからも「隔靴掻痒な議論」でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。