どの様な話?
「技術的負債」に似た、『「技術的」なんちゃら』を考えられないか? と思い、
という本を読みました。
そこでは、
- (特に主に戦勝国から)世界をより良くするために
- どうしたか
が書かれていて、
しかしながら、より良く出来る余地は多く無かった(金銀を使うと貨幣価値が持たなくなる為、との事)そうです。
「技術的平和の経済的帰結」
(勝手な想像で、根拠は無いのですが)ある自治体でシステムが他と異なるのは、
- 原因が有り
- 何かを良くしようとした結果である
とすると、
他の自治体でシステムが他と異なるのも、
- 原因が有り
- (別の)何かを良くしようとした結果である
と思います。
プロイセンと同様にDXでも、より良く出来る余地は、費用負担者が考えるより多く無かったならば、
- 統合は困難
- なぜなら統合とは、(少量のより良く出来る希少な余地を使い切る様な)原因の、実現の和になってしまう
からだと思います。
戦勝国の政治家の振る舞い
本から私が読み取ったのは、
- 原因(選挙区の要望)を兎に角隠したがる
- 訳が分からなくしてより多くを得ようとする
- 相手がフライコール化する
だと思います。ソフトウェア産業もフライコール化しつつ有る様に思いました。
原因を明らかにして、因果ダイアグラムを書く事が良いと思います。
結論
これからも「より良く出来ない」事でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。