どの様な話?
前に、プログラミング言語の中での関数は、
- 「⚫︎ー⚪︎」をプログラミングだとして、
- ⚫︎を呼ぶ側、⚪︎を呼ばれる側だとすると、
- 関数はーだと
書きましたが、
- 関数は「ー⚪︎(ただし⚪︎の中身は考えない)」
でも良いのでは、と思いました。
いずれにしても、中身は考えないのが特徴だと思います。
語り得る?
すると、関数型プログラミングの立場では、プログラミングの中身は語り得ないのでは無いか? と言う疑問が湧きます。
ウィトゲンシュタインは、その著書の論理哲学論考の中で、
と述べているそうですが、関数型と言う論理構造で、中身を語ることは出来ない様に思います。
それが証拠に、全ての関数型プログラミングを推す立場の文書では、プログラミングの内部について、
- 手続型言語の良い所を自分(関数型)だと言い、
- 悪い所を手続型(やオブジェクト指向)だと言う
しかしません。例外無くです。
なぜなら、
- 関数型の論理構造では中身を語り得ず、
- 子供の指を切る形で、自分が言う
以外に手が無いからだと思います。構造的背乗りの元凶です。
結論
これからも「語ることが出来ない」事でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。