嫌われプログラミングの代弁者

「何で頭ごなしに嫌う人間が居るのか」を色々考える

語ることが出来ない 1

どの様な話?

前に、プログラミング言語の中での関数は、

  • 「⚫︎ー⚪︎」をプログラミングだとして、
  • ⚫︎を呼ぶ側、⚪︎を呼ばれる側だとすると、
  • 関数はーだと

書きましたが、

  • 関数は「ー⚪︎(ただし⚪︎の中身は考えない)」

でも良いのでは、と思いました。

いずれにしても、中身は考えないのが特徴だと思います。

 

語り得る?

すると、関数型プログラミングの立場では、プログラミングの中身は語り得ないのでは無いか? と言う疑問が湧きます。

ウィトゲンシュタインは、その著書の論理哲学論考の中で、

  • 複数の論理構造の間で、何が共有されているかを、言語によって語ることはできず、ただ、示すことしかできない。(論理哲学論考 Wikipedia日本語版)

と述べているそうですが、関数型と言う論理構造で、中身を語ることは出来ない様に思います。

それが証拠に、全ての関数型プログラミングを推す立場の文書では、プログラミングの内部について、

  • 手続型言語の良い所を自分(関数型)だと言い、
  • 悪い所を手続型(やオブジェクト指向)だと言う

しかしません。例外無くです。

なぜなら、

  • 関数型の論理構造では中身を語り得ず、
  • 子供の指を切る形で、自分が言う

以外に手が無いからだと思います。構造的背乗りの元凶です。

 

結論

これからも「語ることが出来ない」事でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。