関数型プログラミングを期成していた人たちのエピソード
関数型プログラミングを期成していた人たちのエピソードを書きます。
その1
その人は絶対にこちらのやっている事について、くだらないとか言わないだけ、良識が有ったとは思います。
ある日、その人が休日に私を誘って、副都心から電車で1時間越え程度の造成地に連れて行ってくれた事が有りました。
要するに、その造成地は親の持ち物で、その人は金持ちだと言いたかったのだと思います。
確かに金持ちっぽく、仮に最新のサーバーを10台寄付しても、全く響かない様でしたが、さすがに都区内の事務所の近所に(多分地下の)受電設備をもう1つ、とまで金持ちではなかったのかも知れません。
HPC(スーパーコンピュータ)を運用すると言う事は、そういう設備が必要だと言う事だと、思います。
ただ、そうすると、そう言うHPCや受電設備が、比較的安価に借りられるクラウドで、何でその「関数型プログラミング」が流行らず、形而上状態となっているかが疑問となります。
要するに事務計算では、本質的にその「関数型プログラミング」は無意味だ、投資価値が無い、皆無だと言う証左だと思います。
その2
名刺を渡せない立場で、顧客のセンターで仕事をしていると、招集がかかり、行ってみると、
有名RDBのシステムのリーダーと思しき人が、
- このシステムは自動で最適なジョインをされるはずだ
と天に向かって血を吐かんばかりの意思表明をしていて、顧客の人も元請けの人も、ただ見守るだけでした。
1時間位いましたが、何も結果が出ず、お開きとなりました。
やはり、最適なジョインが自動で出来るには、裏付けとなるハードウェアの存在が不可欠で、それ無しでのサイジングの10倍の性能、100倍の容量(統計情報記録?)が、少なくとも必要だったのでは無いかと、後で思いました。
私は、それ以降、コボラーとして臆面も無く、ヒントをつけたり、SELECT文の入れ子をしたりする様になりました。宣言的な動作も、裏付けとなるハードウェアの存在が必要だと思います。
結論
これからも「根拠の無いイノベーションの主張」の巻き添えでプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。