私が大学4年だった頃
蒸留塔だとか吸着だとかを差分計算でやる研究室で、そこに有ったPC-9800(文字通りのバッファーロー付き、5.25inchフロッピー2台)で、「なんかやれ」と言われ、
横浜の下町に有ったサザンパシフィックで98で使えるターボパスカルを買い*1、サザンパシフィック版の線画ツール(2枚目のフロッピー)で蒸留塔の線画を描き、
「関数の引数の座標を変えて、関数を2回呼べば、蒸留塔が2基になります。」とか言ったら、それで卒業論文はいい事になりました。
学部の研究なんてその程度だとは理解しています。
しかしながら、
しかしながら、
- 厳密で
- 分かりやすい
を学んで来たと思われる学部卒の人で、学部卒なので、自分で手を動かす訳にも行かず、結果として先輩に対して、
- 考えるのはお前だろう
状態になった人の末路は、押し並べて /dev/null 行きになりました。
まだ、そういった事を学んでいない、他学部(私もそうでした)の人間の方が先に進めました。
何が悪いのか?
徹頭徹尾、学用の課題なのだと思います。
厳密で分かりやすい、を現実世界で突き詰める事は、神経衰弱まっしぐらだと思います。
何で悪いのか?
関数だけで書ける様な、1面的な見方固定で、時間発展しない様な課題の場合は、まだやれたかも知れませんが、2が3になるだけで、百発百中破綻する様な考え方となっていたのだと、外部から見て想像しました。
私は御免です。
結論
これからも「ごきぶりの雌と研究者」の例えの通りの毒が回り、プログラミングに関する世界からいなくなった人は何人も居るのです。
これは事実です。
*1:造り酒屋か蚕関係か何かだったのか、店の調度(机とか、荷物置き場とか)が全部石を切り出した物で出来ていて、そこに座った人が、石の机の上に有った98でフロッピーをコピーし、シールを貼って売ってくれました。
アプリの総代理店だったので、それは合法との事です。