嫌われプログラミングの代弁者

「何で頭ごなしに嫌う人間が居るのか」を色々考える

ごきぶりの雌と研究者 4

「弱い毒」が出来る理由

私は、「普通の」コボラーより10歳は年下になります。「COBOL言語である 5」で書きましたが、たまたまCOBOL言語をいじったら出来たのでなっただけで、

その点では、一般に言われているコボラーでは無いと思います。なので、「弱い毒」が出来た過程も見てきました。

 

  • パソコンサーバー(平べったくて動作音のうるさい奴)でRDBなどが使える様になり、
  • 汎用コンピュータでの新規開発がなくなっていった

頃、コボラーに依らない開発が求められ、全くの新人にリーダーとしての役割が与えられました。

全くの新人に、リーダーの役割を与えられると、する事は決まっています。

  • 周りの旧人困るルールを作り、
  • それを新しい

とする事です。必ずそうです。

 

 

「弱い毒」が残った理由

その様な新人は、かなりが嫌気が差して居なくなりますが、太親で無給で研究者になってもやっていける人は、研究者になったと思います。

研究をするにしても、(この様なブログと違い)領分があるでしょうから、好き勝手な分野の研究は出来ないと思います。

因果推論などは、例えば公衆衛生の分野では死活問題の研究対象だと思います。オタ分野のCSとかがクチバシを挟める物では無いと、素人考えでも分かります。

 

何を研究すべきでしょうか?

 

  • 厳密さとは問題をダイレクトに表記に反映

させます。分かりにくい問題は、厳密な表記もわかりにくくなって当然です。

では「厳密で分かりやすく」するにはどうすれば良いかと言えば、

  • (分かりにくい)問題そのものが誤りである

とすべきです。現行システムの面倒を見ている旧人困らせるに足るルールです。

とうとう、学術的なニッチにたどり着いた訳です。

 

 

結論

これからも「ごきぶりの雌と研究者」の例えの通りの毒が回り、プログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。