「弱い毒」が出来る理由
私は、「普通の」コボラーより10歳は年下になります。「COBOL言語である 5」で書きましたが、たまたまCOBOL言語をいじったら出来たのでなっただけで、
その点では、一般に言われているコボラーでは無いと思います。なので、「弱い毒」が出来た過程も見てきました。
- パソコンサーバー(平べったくて動作音のうるさい奴)でRDBなどが使える様になり、
- 汎用コンピュータでの新規開発がなくなっていった
頃、コボラーに依らない開発が求められ、全くの新人にリーダーとしての役割が与えられました。
全くの新人に、リーダーの役割を与えられると、する事は決まっています。
- 周りの旧人の困るルールを作り、
- それを新しい
とする事です。必ずそうです。
「弱い毒」が残った理由
その様な新人は、かなりが嫌気が差して居なくなりますが、太親で無給で研究者になってもやっていける人は、研究者になったと思います。
研究をするにしても、(この様なブログと違い)領分があるでしょうから、好き勝手な分野の研究は出来ないと思います。
因果推論などは、例えば公衆衛生の分野では死活問題の研究対象だと思います。オタ分野のCSとかがクチバシを挟める物では無いと、素人考えでも分かります。
何を研究すべきでしょうか?
- 厳密さとは問題をダイレクトに表記に反映
させます。分かりにくい問題は、厳密な表記もわかりにくくなって当然です。
では「厳密で分かりやすく」するにはどうすれば良いかと言えば、
- (分かりにくい)問題そのものが誤りである
とすべきです。現行システムの面倒を見ている旧人困らせるに足るルールです。
とうとう、学術的なニッチにたどり着いた訳です。
結論
これからも「ごきぶりの雌と研究者」の例えの通りの毒が回り、プログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。