嫌われプログラミングの代弁者

「何で頭ごなしに嫌う人間が居るのか」を色々考える

特定の側のみからの「ベストプラクティス」 1

どの様な話?

前に「投資を呼ばない形而上の提案を形而下のそれと等価だと言われる 3」で、

上代COBOLシステム(汎用機システム)では、

・ 新規開発も、保守開発も、運用業務も全て同じ組織で担って

いました。

それをその後、
(大変だけれど大変もうかる)運用業務や、(大変でもうからないけれどしないといけない)保守開発を、別の組織が(その業務の中心人物を中心として)

・ 持っていってしまう(スピンオフ? 違う??)

ことが有りました。

それを考えると、のちの運用組織がDevOpsとか言っているのは、

・ 単なる自業自得(いいとこ取り、クリームスキミング

にしか見えません。スピンオフしたいと言い出したのは運用組織の方で、それでかなり儲けたはずです。調子が悪くなってから、みんなの事を考えようとか言うのは不誠実です。

と書きましたが、運用業務や保守業務で無く、テスト業務も同じだったと思います。

一目千両の大名人(一目見ただけで、問題点を網羅する)の、その業務の中心人物が、全てをやっていた同じ組織から抜け、

とするとの事で、4番目について知らされていなかった事も有り、特にプログラマー側も気にしませんでした。

 

 

確かに、

確かに、「全て同じ組織で担う」上代の開発分担では、当然因果推論能力も、体力も必要で、市役所に楽にうかる様な人間を、毎年10人単位で集め続けなければならず、

その様な事をし続ける事は出来なかったので、その様なスピンオフの申し出は、渡りに船だったと思います。

 

 

その当時としての「ベストプラクティス」

これが時代の潮流として成立したのは、ひとえに、

  • その業務の中心人物が、
  • 大変な所(不具合対応)は引き受ける

とした為だったとしか思えません。

しかし、その様な人物もよる年波には勝てませんし、当然命脈が尽きる日も来ます。

さらに「業務の中心人物」は、

  • かなり勝手な事を、やった事の文書化もせずに居るだけなので、
  • 後輩をキャンセルする性質が有り、
  • 後継を作れない

特徴が有ります。時代の徒花にしかなれない訳です。

 

 

残されたスピンオフ側のみからの「ベストプラクティス」

残されたスピンオフ側のみからの「ベストプラクティス」としては、

  • プログラマー
  • 一目千両の(一目見ただけで、問題点を網羅する)
  • 資料(どの様な物か不明で、誰も見た事が無い、作り方の糸口すら無い)を
  • 無償で作らせる

となるとは思いますが、それは、

  • 特定の側のみからの「ベストプラクティス」

に過ぎないと思いますし、絶対に実現しないと思います。

まだ、プログラマーに設計の単価を渡して、結果たるプログラムの原因を提示してもらう方が、幾ばくかでも現実味が有ると思います。

 

 

結論

これからも『特定の側のみからの「ベストプラクティス」』を無理押しされる事でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。