デイヴィッド・ヒュームに関する本
デイヴィッド・ヒュームに関する本*1 を読んだのですが、
- 「きっと起こる」と信じるような観念、すなわち「信念」こそが、
- 因果関係の本質だ
とし、その主張で、
- イマヌエル・カントをして「私の独断のまどろみを破り」
と言わしめたそうです。
まぁ、一般的な正しさを求める、哲学の分野では、その様な主張は単なる一学説として扱われ、ほとんどの人は知らない事だと思います。
(私も因果推論つながりで調べるまで、知りませんでした。)
それがソフトウェア開発だったとしたら、
しかしながら、
- それがソフトウェア開発で、
- 因果ダイアグラムの上限が「さー!システムを作るぞ」という権限を持った人の決意で、下限が出来たシステム、というものだった場合、
- 「きっと起こる」と信じるような観念、すなわち「信念」こそが、
- 因果関係の本質だ
というのは妥当過ぎる位妥当で、他のアプローチを寄せ付けないのでは無いか、とすら思います。
対応する領域に何の思い入れも無い、プレーンなソフトウェアの科学者(或いは科学寄りの実務家)が何を批評しても提案しても、
- 一才良くならない、
- なる事例などカケラも見当たらない、
というのは、
正しくこの為では無いかと思います。
ソフトウェア開発者がセンシティブなのは
ソフトウェア開発者がセンシティブなのは、
- システムに関する理解(因果ダイアグラム)はその人の信念であり、
- もちろん別案も沢山有るはず(別の信念)だが、
- 別案を持ち出して原案の理解(因果ダイアグラム)を悪くいうのは、
- 正しく人格攻撃そのものであり、
- 信念の世界に、プレーンなソフトウェアの科学を持ち出して、悪くいうのは、有害でしか無い
為では無いかと思います。
結論
これからも「因果推論に関する教示」を周りの人にされる事でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。