嫌われプログラミングの代弁者

「何で頭ごなしに嫌う人間が居るのか」を色々考える

因果推論に関する教示 9

国による、得意分野の違い

哲学は歴史的に、その後、自然観察を元にした別のやり方によって、メタクソにおとしめられ、それは故無きことでもなかったので、定着して行ったのだと思います。

国による、得意分野の違いは、どうしても出ると思いますが、

  • 何の思潮により隆盛したか

も影響すると思います。

特にこの国では、

  • 他のやり方を、自然観察を元にしたやり方でおとしめ、
  • 非常に成功して来た

ので、その傾向は強いと思います。

ただ、その、

  • 観察すべき対象である、
  • 一貫性を持った”自然”が無い

分野では、一気に弱みとして噴出するのかも知れません。

 

何が必要なのか?

  • 自然に代わる徹底的な一貫性

だと思います。一貫性さえ有ればCOBOLですら、さらにアッセンブリ言語であってすら成立したのですから。。。

ただ、その後の言語の良さは、

  • より中立な表現とし、
    (『必ず「レコード表現」を必須とし、一番目立つ場所に書かなければ
     ならない』、などの「判り易さ」を排すなど)
  • より一貫性を表現し易くする
    (苗字としてのclass的言語要素とか、居住地としての名前空間言語要素とか)

点に主に有り、
その第一原理が因果推論で、その表現が(特に、”閉じた”)因果ダイアログだと思います。

 

国外の人に作らせる利点

昔は安くて国外の人にプログラムを発注して作らせていた事も有ったと思いますが、それ程安い訳でも無くなった今日でも、同じ事をしている場合が有ります。

これは、

  • 日本語が通じにくい人に頼んだ方が、
  • より、「自然に代わる徹底的な一貫性」を維持し易い

からである可能性が有ります。

コボラーの時代の人間は、今より話が通じなかったのは歴史的な事実だと思いますが、それも、

  • より、「自然に代わる徹底的な一貫性」を維持し易い

為だったのでは無いかと思う様にもなりました。

 

結論

これからも「因果推論に関する教示」を周りの人にされる事でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。