どの様な話?
前に、「調査分析(因果推論)」について、
- 大切だ
- キモだ
- 出来たら一人前だ
とか言いましたが、もしかしたらそれを「教示する」事も、
- 専門職の似た分野に関する手抜き
かも知れないと思う様になりました。
プログラミングの実務家(私)が、似た分野であるプログラミングの教習について、手抜きをしたのでは無いか、
と言う話です。
バイクの教習中
そういえば、バイクの教習中、
- バックミラーの情報だけで
- 後ろから来る教習所の先生のバイクの
- (多分わざとの)次のタイミングで危険となりうる速度・方向に対し
- 双方安全な様に
- 自車の位置どりを変えた(ぶっちゃけ後車の進路の邪魔をした)
ら、途端に「一本橋なんかもういいから次へ行け」となりました*1。
どうやってその(一種の)因果推論について「教示する」かなど、言葉でくどくど言うのは、勿論悪手だと、バイクの教習だと一目瞭然だと(世の中の人全員が)思います。
何故か、ソフトウェア開発ではそうでは無いと思い込んでしまうものなのかも知れません。プログラミングで、
- 実際にある情報だけで(ログとか計算結果とか)
- 失意・故意などさまざまな要因から生じる、
- 色々な不具合の危険箇所を
- 現在・将来に渡り安全な様に
- 設計を調節する
と言う事は、
- 「理詰めで教示出来る、教わる事が出来る」
と教師・生徒共に思い込んでしまう様ですが、
これって藁だらけでは無いでしょうか?
因果推論は総じて理詰めで教わる事は不可能かも知れません。
一人前のプログラマー
(上記の様な、決して高度では無い、)プログラミングでの因果推論を、100%きちんと出来る、当たり前の様に出来ると、一人前のプログラマーと言って良いと思いますが、
どうしたらそうなるかについて、
- 言葉でくどくど言うのが
- 悪手なのは、当然で、
- (似たような分野の専門職である)プログラマーが、
- 教習のつもりで、
- それについて言葉で言う
のは似た分野に関する手抜きだったかも知れません。反省しています。
単に、どんどん試作をしましょう。
結論
これからも「因果推論に関する教示」を周りの人にされる事でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。