「追放もの」的?
「なろう系」(Wikipedia 日本語版)と言う記事の、「累計」→「細分化されたジャンル」に、「追放もの」という項目が有ります。*1
そこには、
- 最初から主人公が冷遇されている場合も目立ち、そこから成り上がって自分を迫害したり追い出した者達を見返すジャンル
と有ります。
これには、最後の敵である「複数の見方」(育成に対する軽重に関する理解や、聖女に対する実在性の理解など)が関係してくると思います。
ソフトウェア開発における概念
技術的負債(の返済)も、リファクタリングも、プログラミング分野のテストも、
- それが何なのか言うのは困難(実際どこにも書いていない)だが
- どういう操作をするとそれになるのかは割と合意が有る
と言う性質がありますが、
- 前者2つは、プログラム→プログラム*2 の変換であり、大規模システムでも数は多くて百程度で、しなくても良い。
- 後者は、プログラム→正しさの変換であり、大規模システムでは一千万、数億を超える数にもなり、1つでも抜かすと大事故になりうる。
- 前者2つは対象の正しさを疑わないが、後者は疑い続ける(プログラムが変更されたらさらに継続的に)必要がある
と言う違いがあります。
自動テスト
自動テストというのは、
- 「疑い続ける」機能が無い(代弁者を持たない単なるプログラムなので)
- 全体の中の少量である
という特徴があり、
- これをするだけでかなりの評価となる
という見方は、
- 後で困る勇者パーティや、後で廃嫡される王子様
のそれと似ている可能性があります。
より単純な技術的負債(の返済)やリファクタリングも、なかなか自動では出来ない中、なんで『より複雑な』テストが自動で高い効用を得る事が出来る(と思い込む)のか不思議です。
やはり自動テストの過剰の持ち上げは、
- 「主人公が成長するのではなく脇役の転落物語である」
(「なろう系」(Wikipedia 日本語版)「累計」→「細分化されたジャンル」→「追放もの」項目)
と帰着する様に思えてなりません。
結論
これからも「最後の敵?」の存在でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。