どの様な話?
お話の世界ではよく、
- 最後の敵は人間だ
- 一番怖いのは人間だ
とされる事があります。
しかし技術の世界では、それを言っちゃお終い、的な風潮もあります。
では、
- 最後の敵は「複数の見方」で
- 人間はその代弁者として振る舞う為、最後の敵が人間に見える
- (AIが発達していない現在)プログラミング自体は自分では変革せず、責任も取らないので、代弁者は必ず必要*1
としたらどうでしょうか?
必要悪としての流行り廃り
流行りとは、
- 「複数の見方」の中庸となりつつ
- 現在のハードウェア技術、ソフトウェア技術を十全に満たす事が出来る
やり方で、最後の敵に一々直面する事なく回避するやり方かも知れません。
そして、廃りとは、
- そのやり方が十全で無くなった
時に起こる事かも知れません。
流行りは「中庸」であるべきである
ですので、極端に特定の見方を優先するやり方を「流行り」とするのは定義上誤りなのかも知れません。流行りは「中庸」であるべきです。
また、ある一世を風靡した見方がダメだったとしても、それを完全に廃して別の見方にするというのは矢張りダメで、前の全ての見方に今度の見方を足したものを採用するのが妥当だと思います。
結論
これからも「最後の敵?」の存在でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。
*1:当ブログのタイトルもここから来ています。