どの様な話?
私は現在60歳ですが、50歳の頃から歯ぐきが下がりだし、物を食べると痛くなる様になりました。
それがどんどん悪化するのですが、原因として、
- 本当に痛い所は本当に痛いので、脳が歯ブラシを当てる事を拒否する
- その事を当人(私)は全く気づかない
からでした。
たまたま口の中用の水鉄砲(ウォーターピックとかジェットウォッシャーとか)が目に付き、それを使うと、
- 痛い所でも当てられ、
- 痛い原因の歯石(?、私としては歯石では無く、露出して汚染された歯根の様な気がしてなりません)の痛みを取る効果が有り(水溶性の、痛みの元を除去する?)、
- 歯石(?)と歯の粘着力も弱まり、
- 歯ブラシや楊枝を当てても大丈夫になり、改善の糸口になる
と言う効果が得られ(個人的感想です)、小康を得ることに成功しました。
(なお、文字通り小康で、歯ぐきが下がる件は全く治っていません。)
だから〜、どの様な話?
- 特定のハードウェア(汎用機)に余りにも依存し、他のハードウェア(PCサーバー)が出てからはどうにもならなくなった。
- 携わっていた人たちは、何とかラーとか言われて、一方的に非難された。
事に怖気をなした後の人が、
- 余りにイタイので、脳がハードウェアに関心を向ける事を拒否する
- その事を当人(後の人)は全く気づかない
のでは無いか? と言う話です。
特定のハードウェアに依存しない様に、API を公開した所で、そのAPI の使い方は(そんなに厳密には)規定されている訳でも無く、
使い方次第で、実行時間の1分が100分にもなる訳で、API も小康状態を得るに止まる物だと、思います。
形而上的関数型プログラミングは?
- 全部歯を抜いてやろう。
- その後の事(ハードウェアの更新)は知った事では無い。
と言うスタンスに見えます。これは歴史的経緯に基づく行き過ぎで有ると、断ずるべきで有ると、私は強く思います。
結論
これからも「歴史的経緯に基づく行き過ぎ」でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。