嫌われプログラミングの代弁者

「何で頭ごなしに嫌う人間が居るのか」を色々考える

関数型プログラミングである 4

学術的知見の伝え方

  • ビジネスはファクトに基づいている
  • 関数型プログラミングは学術的評価を受けているが、お前の言っているのは、感想に過ぎない

と言った上司の上司は、その時部長で、社長にもなった方で、もうお亡くなりになりましたが、なんでその様な"信念"を得たのでしょうか?

インターネットで技術的記事を見ていて、ふと思いました。

  • ほぼ全ての記事が、1つの手法のみを推している

と言う状況です。

COBOLの実務経験のある)コボラーが、(形而上的)関数型プログラミングの記事を読んだら、今までの知識と合わせて相対化も出来るかも知れませんが、

素人だったり学部生程度だったりすると、それが出来ないのでは? と思った次第です。

 

どうするべきか

  • 2つ以上の手法を、
  • 同程度の深い知見を持って記述し、
  • 相対化も(すなわち、それらの手法の差異も)親切に記述する

と言う内容で無いと、素人だったり学部生程度だったりすると、地獄真っ逆さまになるのではと思います。

テストを初めに書け、と言うのに対比して、テストを初めに書くな、だったり、(議論が続けられるのなら)テストなんて不要で有害だ、だったりも、同程度の深い知見で記述して欲しい、と言う事です。

ワンイシューに拘泥する(そうする以外の能力が無い)先生に学部生程度が「大学の講義として」教わった場合、それ以降、本当に眼も当てられないプログラミング的人生になると、強く憂慮します。

 

全体主義

ファシストは有る課題を(成員)全体のものだとし、それを指導する自分らを高等だと称しますが、
万歩譲って、(山の向こうで戦争だ、どうしようとか、の)深刻な脅威がある場合は、それも已むなし、の場合も有るかも知れません。

しかし、プログラミングに関する、特に脅威も無い状況での、1つの手法の(成員全体に対する)推しすぎは、単なる「時期ハズレのファシズムです。

まぁファシストは大抵、真面目で、
しかも技術的会社では、真面目なトライを茶化すとかは、ほぼ(セクハラ並の)禁忌なので、どうしても定着してしまいがちですが、

やはり、

  • ファクトを重んじる実業の世界では、全員がプログラミングの専門家では無く、それに対応する為に、
  • 1つの手法を推すのは、間違いのもとで、
  • 誤解を生まない為にも、2つ以上の手法の深い知見を得た上で、
  • 相対化まで出来た上で、他の成員に披露する。

とかの配慮が必要だと思えてなりません。

 

結論

これからも「関数型プログラミングである」事しか、学ぶ事を許さない先生に付く事でプログラミングが嫌いになる人は存在し続ける事でしょう。