嫌われプログラミングの代弁者

「何で頭ごなしに嫌う人間が居るのか」を色々考える

一国のバブルの影響 1

どの様な話?

私は小学生の頃、パンビタンペレーと言う茶色の糖衣錠(ビタミン剤)を飲んでいました。その頃は毛艶も良く、モテていましたが、中学生になってから急にもらえなくなり、一気に気だるい人間になりました。

後から考えた話ですが、小学生の頃にその様な薬を常用していたせいで、私はビタミンを過剰に排出する体質にも似た「癖が」ついてしまったのかも知れません。

何が言いたいかと言うと、

  • 過剰から欠乏に進むと影響が出る

と言う事です。

 

いわゆるバブル期に

いわゆる本邦のバブル期に、コンピューター(企業で使う様な)は一気に普及しました。

その頃、技術者は(別にドンペリとかを飲んでいた訳では無く)今と変わらない生活をしていましたが、仕事として、逆問題が解けるだけのプログラマーなるだけの配慮は、確かに受けていました。

もちろんその経験は私だけでは無いと思います。

 

どんな影響なのか?

特にバブル期以降に社会に出た(社会人小学生の)人間が、

  • バブル期の「逆問題が解けるだけのプログラマー」人材の蓄積の分厚さ
  • を、当然の事と受け取り、
  • 人材を使い潰す「癖が」ついてしまったのでは無いか?

と言う事です。

さらに言うなら、人材の蓄積は、ビタミン剤の様には急に増えることも、急に無くなる事も無く、一定以上期間、そのままで推移すると言うことで、
さらに、使い潰す癖を当然のものとして定着させる事になったのでは無いか? と言う事です。

 

バブル崩壊後の技術者は

さらに、バブル崩壊後に育成された技術者は、リーダークラス(大卒)とプログラマー(高卒)に分けられ、リーダークラスは自弁で勉強しない限り、

  • 正問題を解く経験無しに、逆問題を解く努力のみを求められる

と言う状況になりました。何でそれが可能なのか、私には全く分かりませんでしたが、時代の要請だったのかも知れません。(本当に「知らんけど」)

もちろん最近(新卒数年でボロボロ辞める)は、

  • 正問題で経験を積ませてくれないなら、即辞める

とか言って、その様な配慮を求める様な仕草を皆がしている様で、それはそれで安心なのですが、問題は「使い潰しの人間と、逆問題のみの人間」です。

 

と言いましても、

と言いましても、別に妙案が有る訳でも無く、特にリーダークラスの人間は、

  • 色々説明された上で、志願してなったし、
  • 処遇も私の様な比較的年寄りの大卒プログラマーと比べて良く(というか、私らの方を意図的に冷遇し)
  • その仕事に間違いなく誇りを持っていたし、それに相応しい人生も送っていた

はずなので、私にとって何かしたくなる余地は完全に有りません。

 

若い頃に「逆問題」を解けとなると、

経験上、若い頃に(正問題を解いた経験無しに)「逆問題」を解けとなると、

  • 精神を侵された

様な気分になります。ですので私は、若い頃は先輩に「何が正しいのか」逐一聞くのが生命線でした。その経験も有って、「経験の少ない末端のプログラマーから逆問題を搾取しようとするのは無謀」では無いかという信念を形成するに至ったのですが、

リーダークラスの人間は、それなりの指導の元にキャリアを積んでいるはずなので、そこまでの気障りは無かったのかも知れません。

 

ただし、またn=1で恐縮ですが、私の見たリーダークラスと言うのは、

  • そういう人間もまた、プログラマーを使い潰す傾向にあり、
  • 要するに当てずっぽで仕様を言い、
  • 間違える(当然ですが)と、プログラマーのせいにする

仕草をするのが普通です。もちろんそれが、正問題の経験の無い人間の当然の、そして唯一の冴えたやり方となるのは、私にとって完全に得心が行きます。

 

今後に期待?

もう一国のバブルの影響は、流石に薄れ、またなる事はまず無いと思います。

多分、現在の時点で逆問題を解けるだけの経験を積んだ技術者は高卒の方となると思いますが、彼ら彼女らは、大卒に比べて弁が立たない事が普通で、またそれを自身の分だとしている面も有ります。
解けるはずなのに、文化的規範から解くつもりは無い、と言う風に外部からは見えると思います。兎に角、逆問題を解く人間の供給が無いのです。

ですので今後、逆問題を解ける人材を過剰に排出する癖は、致命的な結果をもたらすと思います。

その点からすると、今の新卒連中の「自分が多少なりとも逆問題を解けるまでになりたい」と言うやり方は、期待出来ると思います。

 

結論

とは言いましても、人材は一朝一夕には出来ず、当分はバブルの影響が残り、これからも「一国のバブルの影響」でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。