どの様な話?
このブログのはじめ(「はじめに」)にて、
- 現在でも、嫌だと言う人は沢山居ます。
と書きました。これがこのブログ全体の、問題意識の発端でしたが、少々、方向性がゆらいで来ました。
私も、いろいろやって来ましたが、一貫してシステムを作成する側で、システムを使わされる側の事には疎い面が有ります。
ですが、さすがにシステムを使わされる側になる事も最近は多く、特にクラウドシステムは、原理的にもその成り立ちからも、
- 今まで開発側だった人間も、間違い無く「システムを使わされる」側になる
のが通例です。
何で「逆問題」?
逆問題(Wikipedia 日本語版)を見ても、
- プログラミング的〜
なんて書いて有りません。私の造語です。Wikipediaの記事の冒頭には、
- 入力(原因)から出力(結果、観測)を求める問題を順問題(じゅんもんだい、英: direct problem)と呼び、その逆に出力から入力を推定する問題や入出力の関係性を推定する問題を逆問題と呼ぶ。
と有りますが、私は「プログラミング的」とした場合、
- 仕様からプログラムや利用感を得るのが順問題で、プログラムや利用感から仕様を得るのが逆問題
だと思います。割と妥当な線だと思います。
何で藪から棒に、そんな事を言い出した?
そもそも論ですが、
- 何でプログラミングを嫌うのでしょうか?
プログラミング自体、学んで楽しく、使って便利なものです。変では有りませんか?
そしてその理由が、プログラミングそのものにある訳では無く、
- システムを使わされる側になった人間が
- 開発過程(特に開発末期)で、勝手に識者とされ、無償で逆問題を解かされ、
- 大抵の場合、上手く行かず、
- それを「識者がダメで、システム開発自体が上手く行かなかった」とされたり、
- たまたま上手く行っても、識者とはプロジェクト外の人間で、その貢献が全く勘定されなかったり
されたという経験からだとしたら、辻褄が合うのでは?と思ったからです。まさに文字通り、無償で被害担当をさせられるという事です。
私はプログラマー30年で、割と解けてしまった事も有り、被害担当にさせるという開発側の究極の目的に合致せず、嫌われてしまう事も多いのですが、
それでも、システムを使わされる側の気持ちも、多少は分かりますし、何でなのかについて言語化する術も、多少は持ち合わせていると思います。
この疑問も私にとって昔からですが、この点は今まで言語化出来ていなかった、私にとって未到の問題です。もう少し稿を重ねる必要が有ります。
結論には早いですが、
これからも「プログラミング的逆問題に絡み被害担当をさせられる」事でプログラミングが嫌いになる人は存在し続ける可能性は十分に有り得ます。