どの様な話?
日本のバブル以降、日本のソフトウェアに関する考察は明らかに捻じ曲がっていました。
それは、
- 上級の資格を持った人間が、
- どの様な職場でも、
- いきなりやって来て
- 上級の資格者として、
- 「いっちょかみ」出来る様な体系を作る
事に重点が置かれたからです。
- きちんと定義されず、
- 科学的な検証・テストも受け付けない
- ”素晴らしい”何かを
- 上級の資格者のみが持っている
- しかし、隠されている手の中は一切見せない
事が続いています。
AIの推論がそれを暴いた
- AIは「誰が言ったか」を隠す
効果が有ります。数学の(圏論とかモノイドとか)少し詳しい所を議論しようとすると、個別の論文を参照しないとならなくなり、
- よっぽど私淑したいと思わない人の論文は、なかなか(当ブログとかでも)参照しずらい
- (当ブログでは)電書かWikipediaに限って参照しているが、それ以上には踏み出せない
のは、事実です。
が、
- AIが言った事だ、とすると、それら公表された情報を使い易くなる
訳です。
そしてAIの(かなり強力な)推論が、
- ”素晴らしい”何かについて
- 議論してくれる、あるいは、科学的に議論出来ないと回答してくれる
ので、
- 「いっちょかみ」の上級資格者www
の居場所がなくなる訳です。
DDDと(このブログで言う)データの意味
私は前から、
- データの意味は”使う側の総意”
と言っていますが、
- DDD の「境界づけられたコンテキスト」も同じメカニズム
では無いかと思う様になりました。
つまり、
- ”使う側”の違いにより、
- コンテキストが、
- 境界づけられる
というメカニズムです。
何が言いたいかというと、
- 何らかのメカニズムで境界づけられる以上、
- どんな体系を持って来ても、
- 「いっちょかみ」は不可能
- 諸所のそれぞれの事情を汲み取れる、「コミュニケーション能力」も必要
という風に、自然法則に準ずる厳しさで、決まっている、という事です。
小さな”使えない”モデルと、”検証出来ない”大きいモデル
Prolog言語は、
- 実用性としては、
- 人類の、反撃の糧に全くならなかった
と思いますが、
- 1階とは何かを指し示す、現実的モデルとして、
- 利用価値が有る
と思います。
しかし、関数型プログラミングは、
- 実用性もにらんだ結果、
- 20年経っても、30年経っても、
- 素晴らしい
- 結果が出ない、小幅の改良に過ぎない
のが事実だと思います。
結論として、
- 上級資格者wwwの「いっちょかみ」の為の「威嚇用語」
にしかならなかったと思います。
私は「いっちょかみ」された立場ですが、20年経っても、30年経っても、素晴らしい結果が出ない事に、憤りを感じています。(手を引っ込めさせる為だけの「威嚇用語」に対して!!)
結論
これからも『「いっちょかみ」の脅威と限界』でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。