「因果ダイアグラム」の効用
「ゼロ情シス」となっている様なシステムでも、「因果ダイアグラム」が無くても、
下記の様な質問ー回答が得られるAIが有れば十分です*1 。
- Windowsで、Rust言語で、Hello World!!!を出すプログラムをデバッグしたい。
- Rustツールチェーンを忘れて、エラーメッセージが出た
- WinLibs(winget経由)が入っているか調べます。Runボタン押下
- ...
- CodeLLDBが入っているか調べます。Runボタン押下
- ...
- などなど
をRust言語に関してはゼロ知識の私でも、どんどん推し進める事が出来、非常にありがたかったですが、
では、何故この様な事が出来るのでしょうか? それは、
- 知識が体系化されていて、
- 資料が大量に公開されている
からだと思います。しかし(会社とかの)私的なシステムではその様な体系化や公開は無理だと思います。
それに対し、「因果ダイアグラム」は、
- その様なAI程では無いが、
- 最小限の知識となり得る
と思います。
上記の様な回答をしてくれるAIが有れば良いのでしょうけれど、私的なシステムでは無理です。
(当時の)「現時点の」人間にとっての利得
- プログラム(関数)のみの視点(地を這うもののの視点)のみで良く、
- 「因果ダイアグラム」の視点(空を飛ぶものの視点)が不要だ
としたのは、それに利益が有ったからだと思います。
特に本邦では、(ポピュリズム的)IT普及とバブルが重なった事で、世界に類を見ないねじれが起きて、さらにそれが「現時点の」人間にとっての利得になったと思われます。
それは、
- 受注側が「因果ダイアログ」等で示すべき、そのシステムの情報を独占出来、競合に奪われない様にする
- 発注側が過去の経緯に囚われない、すきな機能追加を安価に出せる。
事だったと思います。
- 次世代の人間にとってののり代を奪う事になり、
- 「ゼロ情シス」となる
事は、その帰着です。
そして、多分、その事を分かっていた人でも、
- (自分たちの給料は、バブルでもそれほど無い代わりに)億単位のプロジェクトなど、月替わりで初めても全く痛痒が無い
- ダメならまたやれば良い
と思っていたのだと思います。
海外に出す利得
海外にソフトウェア開発を出しても、最終的には大して安くない様ですが、それでも出すのは、
- 「技術的ポピュリズム」が通用しない。全ての情報を連携しないと、なにも始まらない。
- 「因果ダイアグラム」の上限方向の根本を変更すれば、なーなーで済まず、全ての実費を請求されるので、「技術的財政規律」が保たれる。
事が大きいと思います。
それにより、開発に携われない本邦の若者は残念な事になりますが、「因果ダイアグラム」の維持を生業とするなら、それはそれで有りかも知れません。
結論
これからも「技術的ポピュリズムの成れ果て」の物語の帰着により、プログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。
*1:ただ、下記の様な質問ー回答は、そもそも「因果ダイアグラム」を作成出来る資料が整っているからなので、その辺は、「誤魔化した説明」になりますので、ご留意ください。