どの様な話?
Youtubeで、
- 民主化した国で、財政規律の観点で有り得ない事をし、
- 非常に豊かになったが、財源は全て借金で、
- 次世代の人間ののり代が無くなった
という話題について視聴しました。ポピュリズムです。
これの「技術的」版が有るのでは無いか? というのが、この話の主眼です。
そして、その成れ果てが、
- 次世代の人間が寄り付かなくなった、
- 「ゼロ情シス」(IT部門の「ひとり情シス」化を他人事にしてよいのか、中堅企業より大企業が深刻に 木村 岳史 日経クロステック/日経コンピュータ)
では無いかというのが主張です。
いつ民主化したのか?
私もそうでしたが、コボラーはありとあらゆる非難を受けましたが、
- その中に、「技術的ポピュリズム」と言うべき運動が含まれ、
- 「技術的財政規律」の観点で有り得ない事をし、
- より良く、より安くなったが、財源は全て「技術的飛ばし」で、
- 「ゼロ情シス」となった
部分が、かなりの割合で含まれていた可能性が有ります。
第一に何が問題だったのか?
- プログラム言語は、呼ばれる側がプラガブル(関数)で、呼ぶ側はそうでは無く、
- 呼ぶ側は、いわゆる「第一級オブジェクト(Wikipedia 日本語版)」にならないのが、過去からの事実
なのに、
- 「依存性逆転の原則(dependency inversion principle)」で初めてそうなり、
- 呼ばれる側がプラガブル(関数)とするのはより有利だ
とした事が、第一の貢献となると思います。
- 呼ばれる側のみがプラガブル(関数)なのは、
- 当初よりの弱点であり、
- それを推し進める事は、現時点の人間にとっては作りやすく有利かも知れなかったが、
- 次世代の人間にとってののり代を奪う事になり、
- 「ゼロ情シス」となった
となると思います。
どんな「技術的財政規律」を歪めたのか?
- プログラムだけで因果関係を全て書ける
と思った事だと思います。
- プログラムだけでは呼ばれる側の事しか書けず、
- 呼ぶ側の事を書くには、因果ダイアログか、それと同等の何かの記述が必要
なのに、そうせず、
- 現時点の人間にとっては、より作りやすく有利になったが、
- その良さは、すべて「技術的飛ばし」が原因だった
のです。
何故、コボラーは非難されたか?
「技術的MMT」に抗ったからだと思います。
- これからはサービスだ、とか言って、
- (現時点の人間にとって)より良くした成れ果てが
- 「ゼロ情シス」で、
- (コボラーで無い)誰かが始めた(広めた)物語
なので、その辺は過つべきでは無いと思います。
結論
これからも「技術的ポピュリズムの成れ果て」の物語の帰着により、プログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。