第一原理と焚書 1
惑星の運動に関する観測結果を地中に埋めたり、観測結果を持っていた人が
火刑に処せられたりする本を見ました。
確かに、第一原理としての、
- 地球が中心
という事柄を否定しようとされたら、焚書も有り得るかとも思います。
第一原理 Wikipedia 日本語版の、自然科学における第一原理 項に、
- 近似や経験的なパラメータ等を含まない最も根本となる基本法則をさし
と有りますが、地球中心とは、一種第一原理であり、あらゆる恒星が中心となったら、秩序が崩れます。
その後、
その後、万有引力だとか、相対性理論だとかが出て、科学畑の人は、
- 第一原理はどの分野にも必ず有る
と思い込んでしまったのだと思います。
社会学や経済学、心理学も、
- 人間が第一原理である
と置けば、合致すると思いますし、科学自体はそれで良いのだと思います。
第一原理と焚書 2
私は、科学畑の人間がソフトウェア開発の分野に首を突っ込んで、
- 焚書をした
のを実際に見ました。事実です。それは、
- 基本設計書や特に詳細設計書は、
- (第一原理が有るとして)基本に立ち返って見れば自明なはずで、
- 書く必要無し(保存している文書も保守不要)
- 書く必要無し(保存している文書も保守不要)
としたのです。実質的な焚書です。
詳細設計書だって、因果ダイアログを最も粗々で記述するのに必要だったのにです。
ある開発環境で、システムを作ると、
- 束因果ダイアログ中の「原因 → 結果」(以下、関係と言う)で、同じ内容の
関係を全部で1つと数えた場合、 - それら関係の、約9割(感覚的に)は、中堅レベル以上の知識を持った人は、
同じに書く - 約9割(感覚的に)同じに書く様になる事こそ、全ての開発環境の本懐である
- なので、そうでは無い少数(1割以下(感覚的に))の
関係についてのみ、文書化しさえすれば、
因果ダイアログの復元は出来るはずで、その為の(特に必要なトピックに関する)設計書は、焚書されるべきでは有りませんでした。
なぜそうしたのか?
それは、
- (第一原理が有るとして)基本に立ち返って見れば
という思い込みが有ったからだと思います。
21世紀にもなり、もし第一原理が有るなら、それを導出する為の知見は最高潮に
得られてる筈です。何で30年も40年も経つのに、なにも出ないのか、
- ソフトウェア分野の第一原理は、
- 人間が発見していないだけでは🈚️い
- そもそも🈚️い
- だから因果ダイアログは、局所的な束論的束構造になってしまう。
と言うのがオチではないかと疑っています。
なぜ、科学は要らないか
この思い込みは、科学の成り立ち上、非常に強固なもので、
しかも、世間的地位は科学畑の人は上で、技術者が指図出来るものでも無く、
なので、ソフトウェア開発がスムーズに進むには、
- 科学がない、全て技術のみ
と割り切るより無いのではないかと思った次第です。
結論
これからも「何を飛ばしていたのか?」(何を焚書していたのか)が不詳な状況でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。