嫌われプログラミングの代弁者

「何で頭ごなしに嫌う人間が居るのか」を色々考える

圏論の無駄遣い 4

「負債」と「飛ばし」の違い

「負債」は、

  • 自分たちの為にそれを甘受し、
  • 自分たちがいつかは解消する意思を持つ

もので、「飛ばし」は、

  • 自分たちの為にそれを組成し、
  • 被害を被るのは他人

というものだと思います。つまり、「自分たち」かどうかがどちらの基準でも大きな判断基準となっています。

 

 

アカデミアの分野で、「自分たち」に入れてもらえるか?

それは大変だと思います。だから、アカデミアの分野で、ソフトウェア開発について、新しい手法を伝授されようとするのは、困難で、得られるものは、すべて「飛ばし」になると思います。

関数型プログラミングはアカデミア由来で、テスト駆動もアカデミア由来で、それ故、一般人にとって、それらは技術的飛ばしとして観測されるのだと思います。

 

 

商用の分野ではどうか?

商用の分野では、アカデミアの分野よりは入れてもらえ易くなると思います。ただ、未来に渡る業績として歴史に名を刻むのは無理です。テスト要員になったりするかも知れません。

 

 

新しい科学は、

新しい科学は、いろいろ定まっていないが故に、

  • 良いものを悪いと言い、悪いものを良いと言う

事も有ります。それは(例えばガリレオ・ガリレイの様に)広く世に知らしめようとした際に起こると思います。「自分たち」かどうかがその基準となると思います。

 

 

このブログはどうなのだ?

このブログは、

  • より悪い方(ソフトウェアを表す圏は、局所的にも小さく無い(大きい))

を主張しています。どうやっても新規性が得られない主張です。Qiitaとかで書くと非難轟々になり、ポエム扱いされかねない主張です。

だから、まだ大丈夫なのかも知れません。新しい科学での主張には韜晦も必要なのかも知れません。

 

 

結論

これからも「圏論の無駄遣い」でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。