嫌われプログラミングの代弁者

「何で頭ごなしに嫌う人間が居るのか」を色々考える

『ソフトウェア開発』という用語が曖昧 2

怒られにくい

会社の後輩が、

  • 自分は怒られてばかりなのに、あの人(筆者)は怒られにくい

とか言っていた事が有りました。

多分ですが、私は、

  • 色気を出さず、
  • 狭義のソフトウェア開発では、マクロレベルとミクロレベルに終始している

事が、相対的に怒られにくくなる原因だと思います。

そうする事で、

  • うまいかまずいかが決まり、
  • まずいを除く様にすれば怒られにくくなる

と思います。

しかし色気を出してしまうと、

  • 努力している様には見えるが、
  • 偽を前提としていて、
  • 何も成果が出ない

となり、それが延々と続けば、怒られてばかりになって当然です。

 

 

1970年代や1980年代

1970年代や1980年代では、ソフトウェア開発で「広義の」は存在しませんでした。他の分野から敷衍して、

  • プロジェクト管理は大切だ

と口では言っていても、開発トップ以下、誰も本気にしていませんでした。

 

 

その後

その後、メソ的な管理が必要だとなり、それは大成功を収めます。

しかし、多分ですが、その大成功は、

  • 後知恵だったから

だと思います。それまでに既に開発されて来たプロジェクトを、後付けで管理し始めた頃は、成果がすごかったと思います。

 

 

さらにその後

しかし、(メソレベルである)プロジェクト管理を第一に、新規でソフトウェア開発をしようとすると、途端におかしくなったと思います。

  • 何も出来ていないので、狭義のソフトウェア開発に、(メソレベルである)プロジェクト管理を持ち込む結果となって、
  • それは害悪なので、成員全員の多大な苦痛と共に、無惨に失敗する

事になります。

  • 後知恵でなかったから

だと思います。

 

 

アジャイルとか

アジャイルとかは、

  • 狭義のソフトウェア開発に、大学で習う様な、メソレベルの知識を持ち込み、
    圧倒的なより良さをもたらし得ると妄想する事は、害毒なんだ

言う割り切りが出来ていない

  • そういう取り組みにも一定の価値があるかも知れない、

と言う懸念を考慮した、中途半端な提言かも知れません。

  • プロジェクト管理の様なメソレベルの取り組みは
  • 後付けが好ましい

と言い切るべきです。

 

 

DevOpsとか

DevOpsとかは、初め、Dev側の人間からすると、

  • 費用を払わず、
  • 無限定に、
  • Ops側の人間がDev側の人間をこき使うだけ

に見えました。

予算が出来た後に、いきなりDevOpsとか言われるとそうなると思います。

ただ、そう言う部分をクリアにして、

  • 費用を払い、
  • 設計段階から、
  • Opsの事を配慮する様に調整する

のでしたら、害毒にはならないと思います。

でも、末端の人間がそれを提唱すると、後者の様なやり方が出来ず、100%前者の様なやり方になると思います。
これは今までと逆のパターンだと思います。

  • メソレベルが必要な分野(狭義のソフトウェア開発では無い)に、
  • それを持ち込まず、負荷分散が出来ずに不当な労働強化をもたらす、

と言うパターンです。

まさに、「メソ情報の不存在 2」で書いた、

  • 社会を"改革"しようとする学者は"改革"でこれを多用し、必要な分野からメソ情報不要を唱え、不要な分野にメソ情報を唱える事で、認知を得ようとし、あたかも常套手段で必殺技

の通りです。

 

 

結論

これからも「『ソフトウェア開発』という用語が曖昧」であるが為に、プログラミングが嫌いになる人は存在し続ける事でしょう。