嫌われプログラミングの代弁者

「何で頭ごなしに嫌う人間が居るのか」を色々考える

虚無主義的プログラミング 1

どの様な話?

関数型プログラミングは、

  • オブジェクト指向プログラミングと対比させる為に、
  • 極端な事をしているが、
  • それは関数型自体の問題では無い

ので、「問題」の有る部分に名前を付けて、そちらを批判するべきだと思い立ちました。その名前は、

で、

  • 「全体」というものは実際には存在せず、存在するのは最小の基本的な「部分」だけであると主張
  • 実存も現存在も認めない
  • まるで数学しか知らない人が、その学位のみを理由に、ソフトウェア開発の上級職になり、頭だけで0から1を考えた結果の様

という設定です。

そして、
現在見かける、関数型プログラミングは、虚無主義的プログラミングの傾向が非常に強いと、私は思います。

 

 

もしかすると、

もしかすると、

  • COBOL悪かった理由

も、それが「虚無主義的プログラミング」的であったかも知れません。

COBOLプログラムには「全体」は存在しません。モジュールすら有りませんでした。(現代のCOBOLではどうか不明)

 

 

「全体」が無いと、どう悪い?

「全体」が無いと、

  • 少しのシステム更改であっても、全部の細部に渡るまでの調査が必要

となります。

しかし「全体」が有れば、

  • その「部分」については、調査が不要
    ただし、思ってもいない規模の更改となると、リファクタリングが必要

となります。(COBOLリファクタリングは有りませんでした。)

リファクタリングは、虚無主義を脱する代償なのかも知れません。

 

 

結論

これからも「虚無主義的プログラミング」の強要で、プログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。