嫌われプログラミングの代弁者

「何で頭ごなしに嫌う人間が居るのか」を色々考える

コンピュータサイエンスの超絶必須前提条件 3

社会をより良くしようとする手段

社会をより良くしようとする手段としまして、

  • 特定の人間(バスの運転手とかアナウンサーとか)の負担を隠し、
  • その分、社会がより良くなった

とするものが有ります。

関数型プログラミングを奉じる人間達(実際には数学のみをコンピュータサイエンスの前提条件とする人間達)も、

社会をより良くしようとする手段は同種のものだったと思います。

数学のみを前提条件とした場合に、「語る事が出来な」くなる負担を隠し、より良い手法だと言い張るのです。

 

 

関数型プログラミング自体は

関数型プログラミング自体は、

  • 複数の関数定義をまとめ、
  • 「型名.関数名」や、「その型の変数名.関数名」で関数を参照出来、
  • パブリックやプライベートも宣言出来る様な

型を作る事で、オブジェクト指向相当にも出来るだろう事を考えると、

まさに評価中立で有り、本来なら批判の対象にすべきでは無いのかも知れませんが、

現実問題として、その様にはなっていません。

そして、

  • 数学のみを前提条件とするプログラミング手法のみを採用する

論調のみであるのも完全な事実です。

それを踏まえた上で、今後も、あえて、

姿勢は変えないとします。

 

 

何らかの範囲の負担を隠す事

何らかの範囲の負担を隠す事は、たとえ宗教的な戒律であっても、科学的信条であっても、それを社会実装してしまうと、後で反発が必ず有ると思います。

数学以外の範囲の哲学の範囲(が担当する負担)を隠す事も、将来に禍根を残す、一因となる事でしょう。

 

 

結論

これからも「コンピュータサイエンスの超絶必須前提条件」について、前提条件に合わない範囲の負担が隠される事で、プログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。