どの様な話?
前に、関数型プログラミングを批判するのに、
- 形而上学を「訳の分からないもの」として取り上げ、
- 関数型プログラミングも似た様なものだ
という論調で、記述した事がありましたが、
(『「比喩の存在としての関数」は、形而上的存在ですら無い(もっと悪い)』 「特定の側のみからの「ベストプラクティス」 3」)
形而上学はそれほど悪く無く、むしろ確実に関数型プログラミングの問題を引き出す事が出来る道筋として使えるのでは無いかと反省した次第です。
現代形而上学入門 [電子書籍版] 柏端達也 勁草書房 という本を読んでいますが、いくつか面白いネタが見つかりました。
「メレオロジカルな虚無主義」
「メレオロジカルな虚無主義」という言い方が出て来ました。上記の本では、その詳しい解説が書いていなかったので、AIに頼りますと、
メレオロジカルな虚無主義(Mereological Nihilism)は、存在論の哲学における興味深い立場で、「全体」というものは実際には存在せず、存在するのは最小の基本的な「部分」だけであると主張します。
(Copilot Pro Think Deeper設定有り 2025/1/6 PM 『「メレオロジカルな虚無主義」とはなにを言っているのでしょうか?』という問いの回答の冒頭)
となりました。関数型プログラミングを批判するのに適切な言葉だと思います。
「構成の問題」
この本では、因果ダイアグラムとは別のダイアグラムを使っています。
曰く、
- 矢印の先に一つの全体があり、矢印の元にそれを構成する部分がある
との事で、
部分のみで全体が成り立つかの様な議論をする関数型プログラミングに対する対抗策となるかも知れません。
結論
これからも「形而上学と関数型プログラミング」の論点が整理されていない事で、プログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。