嫌われプログラミングの代弁者

「何で頭ごなしに嫌う人間が居るのか」を色々考える

常識が通じない 1

どの様な話?

歴史的に有る時点まで(普通に動くコンピュータが10万円以下で手に入る様になるまで)、プログラミングが主な手段であるシステム開発は、SIerの様なコンピュータの側面からのみ突き詰めるプレイヤーによってなされて来ました。

しかし、コンピュータが安くなった結果、

  • 他分野の常識を基礎にして、システム開発を根本的に見直す
  • それにより、コンピュータハードが安くなったのに呼応して安くする事を目的とする

考えが(当然ですが)沸き起こって来ました。

しかしながら、見た限りでは上手く行っていません。もっと言うなら「常識が通じない」様に見えます。

根本的な誤解があるのでは?

常識のみで考えると、

  • プログラムを本番実行すると、原因不明の理由で動かない

のが絶対的な通常で、そうで無いのは、

  • 必ず、何か非常識な事をしているから

では無いでしょうか?

何が「非常識」なのでしょうか?

化学反応は、多数の原子分子が体験するさまざまな可能性の中から、圧倒的に大きい確率で起こる事を、さも一直線に起こる様に表記しますが、「常識」もまた、似た様な原理で発生するものだとしますと、

「非常識」とは、

  • 多数の人間が体験するさまざまな可能性の中から、起こりにくい事
  • しかし全歴史の中で1回しか起きていないとかでは無く、もう少し頻度の高い事

だと思います。あまりに頻度が低すぎると「非常識」とすら認識できないからだと思います。

テスト実行をしなければいけない理由

プログラムはテスト実行をしなければいけない理由も、そこに有るのかも知れません。

要件に応じて複数の「非常識」を過不足なく表記する時、

  • 本当に過不足無いのか

は「やってみないと分からない」からだと思います。そしてそれらテスト表記により、

  • このプログラムで「必要な」「非常識」とは何か
  • プログラム内では陰に表現されているのみ(苦労して読み解かないと見えない)

なのを陽に表現できるのかも知れません。

ただ、現時点ではテスト表記についての研究は途上だと思います。

結論

ですので、これからも「常識が通じない」事でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。