嫌われプログラミングの代弁者

「何で頭ごなしに嫌う人間が居るのか」を色々考える

まともな名前を付けさせてくれない 1

どの様な話?

特に経理畑の人が、プログラミングの各種名前に一々、まともな名前(妙に一般的な、普遍的な名前)を付けてしまい、理由が有って否定されます。
これはプログラミングが嫌われて当然の話ですが、理由が有ります。

 

どんな理由?

  • 目的は、一貫した基準で有り、
  • 手段は、それを維持するための物

です。プログラミングは目的にするには惜しいくらい手段に向いています。そして、一貫した基準を維持するための物の名前は、より限定的になります。

経理畑の人だって、仕分けを維持するための理屈は、決して「まともな名前」で成り立っている訳では無い(一言二言で説明が付く理屈では無い)はずです。

  • 目的には、まともな名前が付き、
  • 手段には、より限定的な名前が付く

というのは妥当だと思います。

 

プログラミングの分野での名前とは?

プログラムは現状、

  • 2次元の用紙(画面)に文言を書いて出来ています。
  • しかし、プログラムの部分に名前を付け、それを参照する事で、より複雑になります。
  • そして手段で有る以上、目的のために変幻自在に変更されます。

よく、複雑で変幻自在なプログラムを「建て増しされた温泉旅館」に例えることが有りますが、様相はかなり異なります。

  • 温泉旅館はいくら複雑でも、同じ所に複数の建物は建ちませんし、重力の影響も受けますが、
  • プログラミングは名前を参照しさえすれば、いくらでも繋がります。

 

なぜ、より限定的な名前を付けないとならないか?

維持すべき一貫的な基準を維持するための手段である以上、変更されますが、完全に変更していたら、テストも初めからやり直しです。
変更されながら、完全に変更しないためには、名前をより限定的にするのが常套手段です。

まともな名前をつけると、変更した時に丸かぶりになり、完全な変更が必要になります。

 

何で「まともな名前」を付けたがるのか?

想像ですが、プログラミングを目的と思っているからだと思います。プログラミングを目的にするのは勿体無いです。
プログラミングは一貫的な基準を維持する手段となり得る能力が有ります。

そういう理由が有って否定されるのです。

 

結論

これからも「まともな名前を付けさせてくれない」事でプログラミングが嫌いになる人は存在し続けることでしょう。